JCTの活動記録!はい拍手!

JCTのこれまでの活動には様々なものがある。しかし残念なことに、記録に残っていないものもかなりある。それらのことはJCTの有史以前のことになる。
ここでは有史以前のことについても、記憶の糸を辿って書いてみました。記録に残っているキャンプやその他のことについては、JCT日誌帳を忠実に再現してみました。尚、JCTの日誌帳には“ジャポニカ学習帳「さんすう」22行”を愛用しています。

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[五日市、秋川キャンプ][伊豆からの逃亡キャンプ][長瀞キャンプ]

[表丹沢・水無川キャンプ][富士登山withコタツ] [四国・四万十川キャンプ]


  1. 五日市秋川のほとりキャンプ
    〔場所〕東京都西多摩郡五日市町の秋川のほとり
    〔日程〕1994年8月23日〜26日
    このキャンプはJCTの初めてのキャンプでした。サラサラと気持ち良く流れる小川のほとりに我々はテントを張り、その後は暇さえあれば釣り=漁ばかりしていました。
    夏でした。とにかくセミがけたたましく鳴いていたのを覚えています。そんな中、当時のメンバー六人の男は無口に釣り糸を垂らしていました。やはり人間は自然の中にいると内側から活力が湧いてくるようです。魚は釣れても釣れなくても、釣りをすること自体に意義があるようです。
    このキャンプでは、幾つかのエピソードがありました。
    爆竹
    我々は不覚にも、大きな橋の下にテントを張ってしまいました。これはどういう意味かというと、いろんな物が落っこちてくるわけです。
    キャンプ二日目の夜のことでした。その日は夕方まで漁をしていたため、真っ暗になってから懐中電灯の明かりの中夕飯を拵え、やっとみんながゴザの上に座って猛獣の如く食べはじめたところでした。
    ランプの光だけが頼りの暗い静かな夜に、いきなり爆音が鳴り響きました。我々の座っていたすぐ後ろではじけたので、メンバーは失神しそうに仰天し、食べていた御飯を「ブブーー」と吹き出しました。「ななな、何なんだ??」一瞬ひるみましたが、すぐそれが誰かが橋の上から投げた爆竹とわかり、メンバーは喧嘩に負けた子供のように悔しがり、橋に向かって石を投げつけました。

    増水
    これにはさすがにビックリしました。爆竹より恐ろしかった。その日は夕方、黒い雲が空を覆いました。我々がテントを張っていた場所には雨はパラパラと降っただけだったので、すっかりいい気になっていたのが間違いでした。
    その川は普段は小さく、膝までつかれば簡単に向こう岸に渡れるくらいです。向こう岸には無人の壊れかけた小屋があり、夜にメンバーの一部が肝試しに行きました。僕も行ったのですが、「おや?」と思ったのは、肝試しからテントに帰る時でした。行く時は簡単に渡れた川の様子が少し変なのです。
    テントに戻った我々は、口々に「なんか水増えてない?」と呟きました。確かに川淵に冷やしておいたジュースが流れ出しそうになっていました。それから見る見るうちに、川幅が広くなってきました。優しくサラサラと流れていた小川が、轟々と音を立てて荒れだしました。あっという間にテントから1.5m位の所まで水が来ました。下流の低いところにテントを張っていた別のグループは、悲鳴をあげながら避難していました。我々は、もうこれ以上水が来たら避難するという不後退防衛線を設定し、交代で見張りを付けて眠りました。夜中12時位にピークを迎え、その後は退いたようでした。
    きっと上流で大雨が降ったのでしょう。翌朝にはすっかり元の小川に戻り、セミは何事も無かったかのように朝の青い空に向かって鳴きました。(この章は宮沢賢治風に書いてみた)

  2. 伊豆からの逃亡キャンプ
    まずこの写真をご覧ください。奇麗でしょう。キャンプは風景との出会いの旅でもあります。なぜ夕日が奇麗で意味も無く感動してしまうのか、そんなことを考える瞬間がJCTのキャンプにはあります。尚、断っておきますが、この写真はあくまでイメージです。この伊豆でのキャンプではこのような風景と共にキャンプをしたと思って下さい。
    〔日程〕1995年9月6日〜10日(四泊五日)
    〔場所〕伊豆→山梨の小さな川
    9月6日(水)まだまだ残暑の厳しい日であった。我々のメンバーの分乗した車は、凄まじい量の荷物を積んで、ギシギシ音を立てながら、首都高、東名を走り、沼津ICで一般道に降りた。
    この日の予定では伊豆半島の中央を流れる狩野川のほとりでテントを張ることになっていた。そのため、狩野川沿いをはしる国道136号線をひたすら南下した。キャンプに相応しい河原が見つからないまま、闇雲に南下していたら海に出た。もうメンバーの心は決まっていた。初日から浜辺でキャンプだ。キャンプに適した浜を探し、早速テントを張った。
    太陽はもう沈みかかっていた。そこは今井浜海岸というところだった。暗くなっていく速度と競争するかのように我々はテキパキと鍋に米やジャガイモをぶち込んだ。夕食が出来上がった時にはもうとっぷりと日は暮れていた。薄闇の浜辺で、波の音を聞きながら食べる夕食は格別だった。しかしその後、我々の淡い幻想を打ち砕くかのように浜辺でのキャンプは難航を極めた。
    まず砂がウザイ。テントの中は勿論、ズボン、パンツ、頭髪、味噌汁、納豆、すべての中に砂が乱入してくる。「えーいウザイ、あっちさ行ってろ!」と砂に怒鳴っても、怒鳴る口に砂が入り、噛むとジャリジャリする。我々は砂と友好関係を結んで生きていくしかないことを厳かに悟った。
    また、海岸は非常に風が強い。風の強い浜辺を、長い髪をたなびかせながら物憂げに流木と戯れる女はさまになるが、我々は「おい、そっち押さえろ、テントが飛ばされる。あぎゃー、テントカバーがハワイに飛んでいくー」などと真っ暗の砂浜で騒ぎ立てた。
    しかし、メンバーで嫌そうな顔をするものは誰もいない。皆ブツブツ言いながらも、なんだか嬉しそうだった。キャンプ中は何でも楽しいのだ。強風との死闘を繰り広げているうちに、刻々と夜は更けていった。

    9月7日(木)強風に悩まされ、寝不足状態で朝を迎えた。テントのカバーは無残に剥がされ、骨組みに絡みついていた。そして骨組みも63度位曲がっていた。
    しかし、やわらかな朝日の浜辺は素晴らしかった。昨夜は「もう海には来るまい。お前なんか嫌いだ」と思っていたものの、この朝の海は「わたしにも良いところあるのよ」と魅惑的にウィンクしていた。マイッタ。

    午前中メシを作り、壊れたテントの横にゴザを敷き、その上で食べた。メニューは納豆御飯、味噌汁。海の風にたなびく納豆の糸はなんだか実にいいもんだ。朝食後、そこを奇麗に片付け、その場を後にした。
    後で気が付いたが、そこの海岸は県の条例で9月30日までキャンプ、バーベキューが禁止されていた。汚して帰るモラルの無い奴が多いからこんなことになるんだ。自然を壊したり、汚して帰ることに対し何にも感じない人はキャンプもバーベキューもする資格が無いのだ。

    この日の予定はもう無かった。そこで、まず風呂に入ろうということになった。体中にへばりついた砂が気持ち悪かった。山奥の渓谷にある外来入浴可の旅館を見つけ、そこの露天風呂に入った。前日の魔の砂を一粒も残さず落とし、奇麗さっぱりしたところで、再び次のキャンプ地探しに出発した。
    今度は西伊豆海岸に出て、海を左に見ながらひたすら北上した。キャンプに適した海岸の公園は何ヶ所かあったが、さすが伊豆国立指定公園らしく、すべてキャンプ、バーベキュー禁止となっていた。更に北上していたら、いつしか夜になった。北上しすぎて沼津に戻ってきてしまった。

    この日は夕食を作る時間が無くなってしまい、全くの不本意ながら汚いラーメン屋で夕食を済ませた。憲法に三大原則があるように、JCTにも基本的精神がある。このラーメン屋行きは、それ自体明らかに違反である。しかしこの場合、JCTの基本的精神である「楽シクヤルベシ」が優勢に立ち、認められることになった。

    この日のキャンプ地は沼津の千本浜公園に決まった。そこは海岸沿いにある公園で、特攻服を着た地元走り屋が公園をグルグル周回しており、大変やかましかった。防風松に囲まれた闇の中、石油ランプを灯して酒盛りをし、前日の寝不足を解消すべく懸命に眠った。ここもキャンプ禁止だったらしい。

    9月8日(金)「もう伊豆なんて嫌いだ、ロクにキャンプする場所も無いじゃないか、ぺっぺっぺ」そんな意見がメンバーの間に溢れ出し、我々は伊豆から脱出することになった。
    とりあえず次の行き先はなぜか富士川になった。富士川は我々にとってデカすぎる河であった。富士川はボツになった。夕暮れも近づいた頃、やっと素晴らしいポイントを発見した。そこは誰も知らないような小さな川のほとりで、山を背景とした静かで落ち着く場所だった。川には一本の吊り橋がかかり、たまにそこをほっかむりをしてクワを持ったおばあさんが通ったり、カゴを背負ったおじいさんが渡った。場所は秘密。
    移動にかなりの時間を費やしたため暗くなってからテントを張り、懐中電灯の明かりを頼りに夕食を拵えた。出来上がった夕食を食べる時は至福の時である。「俺達は味噌汁作りの達人だ。」とか、「この野菜炒めは辛くて最高だ。」などと輝かしい健闘を互いにたたえあい、夕食後に乾杯。

    夜が更けてくると、風が冷たくなってきた。やはり秋の気配があった。その日は背中のゴツゴツした石を気にしながら眠った。それまでのキャンプの中で、最も落ち着いた夜だった。

    9月9日(土)居心地が良いので、そこでもう一泊することになった。移動しないとその日が一日有効に使える。近くの民宿の風呂に入りサッパリし、その後ものんびりと釣り、読書、昼寝、プロレスなど好き勝手なことをし、終わりゆく夏を満喫した。
    夕食に焼きそばを作った。火力を強めるために薪に大量の石油をかけたため、やたらと石油臭い焼きそばが出来上がった。毒を食んでいるような恐怖を起こす焼きそばだった。
    キャンプ最後の夜はこれまでの波乱キャンプの疲れが出たのか、静かに更けていった。虫の声がテントの外に溢れていた。

  3. 長瀞キャンプ
    毎回のキャンプには一応のテーマがある。今回のメインテーマは『まんなかあお』、サブテーマは『ジジイ』だった。テントの骨組みを組み立てるのに、目印となる柱をどうしても毎回のキャンプで忘れてしまうので、テーマとして覚えることになった。サブテーマはそのままである。今回のキャンプでは、料理からJCTの姿を浮き彫りにしたい。
    〔日程〕1996年4月27日(土)〜29日(月)
    〔場所〕埼玉県長瀞、荒川のほとり
    JCTの料理はものすごくうまいか、破滅的にまずいかの二通りが多い。その理由は毎回のキャンプで必ず実験的な料理をするからだと思われる。我々のキャンプの記録帳であるジャポニカ学習帳を紐解いてみると、その実験的料理のレシピが細かく記されている。それらの幾つかをここで紹介する。皆さんも一度作ってみてはいかかがですか。
    材料:りんご2個、バナナ3本、コーラ
    とりあえず煮込んでから、砂糖、塩を加える。隠し味に醤油を入れる。
    批評:「やはり果物は煮ちゃダメだ」「バナナがドロドロに溶けてる」「もういいよ」

    ここで紹介した料理は我々の実験的料理で、JCTはこんなのばっかり食べていると思ってくれては困ります。正統的なカレーライスや豚汁、シチューなんてものも作ってきちんと食べています。ご心配なく。

    さて、ここで少し長瀞キャンプ全体的なことを紹介します。このキャンプのサブテーマは『ジジイ』でした。我々はテーマに忠実に行動しました。
    初日のノートには、「キャンプ初日(27日)、PM9時床につく。我々のキャンプ地から50mばかり離れたところに威圧的に騒ぎ飲んでいる人達がいるが、JCT(ジジイキャンプチーム)の我々は先程のフルーツ煮込みの毒牙にかかり、ぐったりと寝袋の中にもぐり込むのである」と記してある。
    そして、翌朝は早朝から釣りです。石の裏にいる川虫で、面白いように釣れました。JCTのメンバーはこれまでのキャンプでの死に物狂いの釣り=漁の訓練で、なかなかの腕前なのです。
    よくキャンプに出掛けると、一刻も時間が惜しいようにセカセカと釣り、バーベキュー、宴会とこなす人達がいますが、あれじゃあキャンプに行って疲れちゃいますよ。JCTはキャンプに行くことで、人をリフレッシュさせるべきだと考えています。一日中ボケーとしたい人はして、酒のみたい人は飲んで、釣りしたい人は釣りして、眠りたい人は眠る。自然のリズムに身を置くとどんな人でも元気になってきます。
    まあ価値観は多様ですから、これが良い悪いでなく、JCT流のキャンプだということです、はい。

  4. 表丹沢・水無川キャンプ
    〔場所〕東名高速秦野中井ICから30分位山道を登ったところにある地点、かなり道が悪いから普通車でのアクセスは困難を極める!
    〔日程〕1996年6月8日(土)〜9日(日)
    雨でした。かなりの雨に降られました。険しい山道を登り、やっとポイントに着いた時にはポタポタと降っている程度だったのに、夜から本格的に降り出した。
    水無川の最上流地点は雑誌にバーベキュー、キャンプの穴場と紹介されていたからか、グループやファミリーでひしめき合っていた。我々がテントを張ったのはそれよりずっと下流の車も入れないような不便な所で、テントや薪、シートなど、あらゆる荷物を車から遥か遠くまで歩いて持って運ばなければならなかったが、それだけに誰もテントを張っていない素晴らしいポイントだった。まるで中国の山奥の風景の中にいるようで、虎でも出てきそうな気配があった。
    ポイントは川の水がせき止められた所にあり、浅い溜め池ができていた。そこには魚がいるようだった。これまでキャンプをしてきた中でかなり上のランクに入る。もちろんこれはJCT流の判断基準であり、一般の人が真似してはいけない。まず、トイレも水も無いという時点で、グループ、カップル、ファミリーはここに来れない。一般人はここでランクを下げるが、JCTは逆に上げてしまうのだ。

    ではどのように用を済ませ、水を調達しているのか。詳しくはJCT流キャンプ入門講座で紹介します。まあ簡単に言えば、トイレなんか男しかいないから自然の中にいくらでも見出せるし、水は大きなタンクを持っていき、汲める所で一杯にしてそれを大事に使えばどうにかなるものです。今回のキャンプのように雨が降っていれば、それを沸騰させて使うという裏技もできますが、あまりお勧めできません。手を洗ったり皿を洗う程度になら十分つかえます。しかしその夜、あまりに雨が降るので雨水でコーヒーと紅茶を作って僕ともう一人が飲んでみました。僕は大丈夫でしたが、もう一人はあとで下痢になりました。飲んだ時の感想はノートには「口当たり良く、まろやかなる味」と書いてあります。

    雨のキャンプも風流なものです。僕が説明しても臨場感が無いので、JCTの活動記録帳のジャポニカ学習帳を写してみます。「・・・買い出しに行き、夕食にカレーライスをつくる。うまい。しかしよく雨が降っている。今、夜12時前、テントの中でギターを弾いたり酒を飲んだりする。・・・・・・よく雨が降っている。雨の夜のキャンプもしっとりと味があっていい。カエルの声が良く聞こえる。・・・・この場所には明かりが周りに何も無い。でも空は真っ暗にならない。なんでだろう?」
    日程を見ていただけば分かりますが、ちょうど梅雨時で、カエルが鳴く季節だったのです。テントに打ち付ける雨の音と、カエルの声をバックサウンドにしてその晩は眠りました。
    どんなキャンプでも、思い出に残らないものは無さそうです。

  5. 富士登山withコタツ
    〔日程〕
    ・1996年7月22日
    〔参加メンバー〕
    ・7人の猛者
    富士山、その高さ、知名度、風格などいずれを取っても日本一の山である。しかし富士山に登ったことのある人は日本中で沢山いる。僕だって、今回のメンバーの一人と前年に一度制覇していた。
    普通に登っても何の自慢にもならない。そこでJCT(日本キャンプテント)のメンバーは、大学の食堂でコロッケカレーを食べながら考えた。富士山の頂上でコタツに入りながら、みかんを食べた人はかつて存在するだろうか、いやそんなアホなことをする人はいまい。

    そんなことから、前期テスト終了後に名付けて“富士登山withコタツ”が実行されることになった。
    7人の勇気ある挑戦者はAM10時、現地集合することになった。。シーズン真っ盛りということもあり駐車場が混んでいて、昼12時頃にやっと全員が富士伍合目に揃った。
    予め分解しておいたコタツをそこで分担し、PM12時15分伍合目出発。コタツといっても、頂上に電源は無いので温まることは無い。しかしコタツに入ることに意義がある、そう考えてメンバーは重い荷物に堪えた。
    メンバーのうち富士山経験者は僕と前年に一緒に登ったもう一人だけ。その他のメンバーは今回が初挑戦だった。僕ともう一人がかつて4時間足らずで制覇したと他のメンバーに教えていたので、基本的に皆舐めてかかっていた。
    しかし今回の挑戦は話が違う。まずコタツを持っている、従って荷物が重い。それに前年は僕ともう一人は部活引退直後で体力が有り余っていた。今回は前期テストの直後、従って体力は無いに等しい。富士山に登ったことのある方は御存知だと思いますが、意外に伍合目から六合目までの距離が長い。メンバーは六合目に辿り着いた時点で、汗びしょびしょだった。もう頭が痛いなんて言っている奴もいる。出発してたったの30分後である。
    ここでメンバーは全員、これは舐めてかかったらエライことになると無言のうちに悟った。ここではあまり休まず、すぐ出発。我々の他に一般客も沢山登っている。僕らはかなり歩くのが早かった。どんどん人を抜かしていった。リュックからコタツの足やら骨組みやらが飛び出している怪しい集団は、黙々と登った。
    これがまずかった。張り切り過ぎて、すぐに体力が消耗された。6合目から25分後、13時10分、しばらく休憩した。もう杖を両手で持って、完全に体重をあずけている奴もいる。
    これを読んでなんて体力の無い連中だ、と思ってはいけない。下界のようにはいかないのだ。酸素が薄いのが、このヘナヘナ老人化の最大の原因である。でもまだここは良い方だ。頂上に近づくほどもっと薄くなる。

    7合目に到着したのは、13時30分だった。体は火照って熱いのだが、周りの温度は急激に下がっていた。椅子に座って休憩していると、オーラのように湯気が上る。
    はじめは久しぶりに再会したメンバーと元気良く話し合っていた我々であったが、7合目には無言だった。まだ辛うじて皆生きている状態で、そこで記念撮影をした。
    ガスがかかってきて、かなり寒くなっていた。メンバーはこの苦しみの元凶はコタツに他ならないと考えはじめ、コタツを憎み始めていた。こんなもん捨てて登った方がよっぽど楽だ、しかしそれでは登る理由が無くなる。この内面の葛藤に苦しみ出していた。

    メンバーはそれぞれのペースで7合目を出発した。登山のポイントは、他人のペースに合わせないこと。このあたりでは7人のメンバーはもう完全に自分の世界に入って歩を進めていた。だからペースもばらつきが出てきた。

    8合目に14時35分に全員が到着。蒼い顔をしている奴もいた。でもこのあたりになると、不思議と自分のペースが出来上がってきて、調子が出てくるのだ。8合目で20分休憩し、すぐ上の方に見える本8合目の看板に向かって歩き出した。
    すぐ近くに本8合目の看板が見えるのに、なかなか近づいて来なかった。「あんなに近くに見えるのになぜだー!!」と意識の遠くなる頭で考えた。
    もう限界になり、15時10分山道に皆で腰を下ろした。何も喋らず、20分間息切れをしていた。

    結局本8合目に着いたのは、8合目を出発して1時間後の15時50分だった。本8合目の看板は必要以上にデカかった。どうりで近くに見えるのに辿り着かないわけだ、と腹立たしげに納得した。
    ここまで来ると、あとは勢いで登れる。一般客はもう山小屋に引きこもり、明日の残りの登山に体力を貯えていた。そんな暇は我々には無い。今日中に登り、今日中に下山しなくては。

    頂上が近づくにつれて、岩肌が多くなり、手を使わないと登れなくなる。本当に這い登るようだ。
    精神、肉体ともにボロボロの状態で山頂に第一陣が辿り着いたのは17時45分だった。ほとんど誰もいなかった。薄暗く、風が凄まじく吹き荒れていた。気温は正確には計っていないが、5℃以下だっただろう。風が強いから、体感温度はもっと低い。
    最初に到着したメンバーはブルブル震えながら、他のメンバーの到着を待った。全員が揃わないと、コタツが組み立てられないのだ。「おーい、眠っちゃいかんぞ、しっかりしろ!」と叫んでいたら、後続のメンバーが到着した。すぐにコタツを組み立て始めた。
    メンバーは歯をカタカタ鳴らして、震える手で骨組みを完成させ、ふとんを掛け、コタツ板を置いた。僕はリュックからみかんとザルを出し、その上に置いた。完成だ!!

    感動はほとんど無かった。達成感に酔いしれるには寒すぎた。目を開いているのがやっとの寒さだ。風が猛烈に強く、髪の毛は荒れ狂っている。それでも、メンバーはコタツに入りみかんを食べた。震える手で冷えたみかんの皮を剥き、食べた。体が更に冷えた。生命の危機を感じた。
    それでも、写真を撮ることは忘れなかった。記録だけは残したかった。イメージスキャナを買ったら、掲載したい。メンバーが全員素晴らしい顔で写っている。この世の仙人の境地に達した顔をしている。

    頂上には15分足らずいて、走るように下山した。伍合目に戻ってきたのは、21時40分だった。達成感を味わったのはその時でした。(終わり)
    尚、写真はイメージで、何山か分かりません。
    本物の素晴らしい富士山の写真を見たい人はこちらをご覧ください。やっと、本物の写真を大竹@あほらしかさんから貰うことができました。そのお方の富士山コレクションには、ここから行くことができます。


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