
1996年8月から3週間、カナダのバンクーバーで生活をした。留学と呼ぶには短すぎるし、観光と言えばそれも違う。まあ、遊学という言葉が今回のバンクーバーでの生活には相応しいように思う。最初のカナダ行きの動機は英語を徹底的に鍛えることだった。今思えばなんて馬鹿げたことを考えていたんだろうと恥ずかしくなるが、当初は3週間もあればどうにか英語を喋れるようになるだろうと思っていた。しかし、そうはいかなかった。語学学校に入学し、あっと言う間に時は過ぎた。でも、決してあの3週間は無駄ではなかった。短かったけど、毎日が刺激的でいろいろなことを吸収できた。素晴らしい友もできた。毎日が充実していたからこそ、3週間が矢の如く過ぎ去っていったのだろうと思う。ここでは、カナダでの語学研修を通して学んだ様々なことを断片的に紹介したい。ここまで書いて気が付いたけど、なんか文章堅いね。最近ゼミに入るための論文書いていて、その語調がうつっちまった。本来の僕の語調を取り戻しつつこれから書いてみたいですどす。
「バンクーバーをひたすら歩く」
バンクーバーにもマクドナルドがある。街の散策に疲れるとよく利用した。洒落た喫茶店も数多く存在していたが、やはり気軽に入れる場所はマクドナルドだった。面倒なチップも要らないし、なんと言っても安い!具体的な値段は忘れたが、日本で買うのが馬鹿らしくなるような値段だ。日本ではコカコーラをあまり飲まなかったが、カナダでコーラ教の信者になった。カナダの季節は日本と同じで、8月は夏にあたる。北海道の夏の気候に似ている。さっぱりしていて、汗をあまりかかない。でも、いつも歩く量がハンパじゃないので、ヘトヘトになってマクドナルドに流れ込んだ。そこでの一杯のコーラがなんとも美味いのだ。細胞の隅々まで水分が行き渡るような感じがした。今度バンクーバーに行ったら、絶対に最初に行く店はマクドナルドだと思う。とにかくどこであれ、外国に馴染みの店があるのは喜ばしいことだ。
「ホームステイ」
大橋巨泉との再会
空港からステイ先までの40分位の道のりは長かった。何から話せばいいか分からなかった。だから、今時差ぼけだとか、上空から街の夜景が奇麗だったとか、こっちは夏なのに寒い、日本は夜でもジメジメとして暑いなど、どうでもいい事を話した。
ステイする家は、物凄く長い一直線の坂を上り切ったところにあった。そこの地域はノースバンクーバーといって、自然の多い静かなところだった。バス停でバスを待っている時などには、よくリスを見つけた。家に到着すると、ホストマザーと次男のマイケル、ステイメイトのトーマスを紹介された。ホストマザーはどう見てもイギリス系のカナダ人には見えなかった。正直言ってかなりの違和感を覚えた。その時は「これが多人種の共存するカナダなのだ、驚くにはあたらない」と考えて、追求しなかった。後でホストマザーはインド出身、ファーザーは元のチェコスロバキア出身という驚くべき事実を知った。どうやって二人は知り合ったのだろうか、今もって謎のままである。
閑話休題
ここまで書いて、そもそも「ホームステイ」というタイトルを始めに付けたのが間違いだったことに気付いた。もっと細かく分ければ良かった。「朝食:コーンフレーク」「洗濯」「コメディー番組」「夕食」「ユニットバス」などなど。うーむ、またホームページとは何なのかという疑問にぶち当たった。小説?体験記?ハウツー?まあいいや。文句があるならそれでもいい。僕はこのページを読んでくれている極小数の神様のような方々に、なるべく臨場感を持ってくれるようにと心掛けてこれらを書いている。だからつい文章が長くなる。ブラインドタッチで書けるようになってから、余計にその傾向が強まった。これから海外で学ぼうとしている人が、どのような情報を欲しがっているか僕はよく分かる。ビザの取り方などは聞けば分かる。でも、現地でどのように生活して、どのようなことを感じるかは、行ってみないと分からない。それで不安も起きる。そこで僕は、一般のガイドに無いような体当たりの体験記を書こうとしているのだ。でもホームページには限界がある。長すぎては誰も読まない。でも結局ホームページは自己表現の一形態だから、作ることに意義があるとも思う。見られることを意識せず自然体で絵を描く画家のように、僕もこれから自然体で書く。絵を鑑賞する人の澄んだ心でお付き合い戴きたい。
ここから突然短いトピックに分ける。
コメディ番組の憂鬱:夕食後は団欒のひとときだった。ソファに座ってコーヒーを飲みながら、よくテレビを観賞した。向こうのテレビは、よくコメディ番組を流しており、それを家族みんなで見た。これが辛かった。まず、言葉がよく聞き取れない。段々と聞き取れるようになったが、でも細かいニュアンスは分からない。また、コメディというものは、その文化にとっぷりと浸かってないと理解できないものなのだ。日本にはじめて来た外人に「隣の家に垣根ができたってねえ」「へい」と言っても絶対理解できないのだ。このように、@聞き取れないA文化がわからない、という二重苦の狭間で、コメディ番組を眺めていた。ファミリーは所々で爆笑する。僕は良く分からなかったけど慌てて爆笑してみた。ファミリーは所々手を叩いて喜んでいたので、僕も手を叩いて喜んでみた。隣に座っていた韓国人も同じしぐさをしていた。こいつは果たして分かっているのだろうかと不安になり、後でこっそり聞いてみた。「さっきのコメディ、面白かったか?」「いや、何言ってるのか分からなかった。そもそもギャグセンスが韓国とかけ離れている」と平然と答えた。俄かに僕は嬉しくなり、「おお!お前もか、仲間だ仲間だ」と言い、それから彼とは親友になった。
電話:ホームステイしていると必ずこの問題に直面する。夕食までに帰れない時など、普通ステイ先に電話するのが常識だ。これが最初は緊張する。頭の中で幾つかの構文を思い浮かべながら、ダイヤルを回す。「頼むから“もしもし”って言ってくれぇ〜」と思っていると、「Hello!」と突然ホストファーザーが受話器に出る。「ぎゃあ来たぁ」と焦ると、一瞬のうちに喋る内容を忘れてしまう。「アアウウ、はろ〜」と、とりあえず言ってみる。ファーザーは声で僕だとわかってくれて、「Oh Isao! How are you doing? What's happening?」と聞いてくれた。ああ、なんていい人なんだ、カナダの親父ありがとうと感謝しつつ、英語での電話を遂行したのでした。
「学校生活」
さて、ここで韓国人の日本観を少し紹介したい。日本人は歴史をあまり顧みない。でも韓国人は常に歴史を念頭において行動している。ものの価値判断基準は、すべて過去の経験と歴史を基盤にしている。日本と韓国。仲が良いのか悪いのか。表面上は韓国人も日本人も今は仲が良い。特に若い人は、過去のことなど構わずに仲良くしているように見える。しかし、徹底した教育の下、韓国人はかつての日本の侵略の歴史をよく知っている。そして、文化的に日本は憎むべき国であるとされてきた。特に今の若い世代のおじいちゃん、おばあちゃんにとっては日本は敵以外の何物でもなかった。その風潮は完全に無くなったわけでなく、今でも根強く残っている。そのことが今回カナダに来て分かった。韓国人留学生は少し仲良くなると、必ずと言ってよいほど「日本と韓国の歴史についてどう思うか?」と聞いてくる。最初は、残念なことだとか、嘆かわしいことだとか言っていても、そのうちにこっちもイライラしてくる。長期向こうで勉強していた友達は、この質問攻めに嫌気が差したらしい。過去は過去、今は今、そう思うのは日本人、過去は過去、今も過去、そう思うのは韓国人。それが良い悪いでなく、これが文化の違いなのだと思い知らされた。日本をよく思ってない人も世界にはたくさんいることを認識して、厚顔無恥にならないように国際社会の中で日本は生きていくべきなんだろうなぁと真面目に思いました。
スタンレイ・パークカナダではローラーブレードが流行っている。インラインスケートというやつだ。滞在中よくこのスタンレイ・パークでローラーブレードをした。はじめは日本人同士でローラーブレードをレンタルで借りて滑った。スピードを出し過ぎるとかなり恐いが、ブレーキができるようになると風を切って滑れるようになる。僕は一度でローラーブレードに惚れ込み、虜になった。レンタルでは飽き足らず、絶対買って、マイ・ブレードで滑りたいと思うようになった。こうなったらもうダメだった。この何日後かに、僕と同じく虜になった友達と一緒にスポーツ用品店に行った。ローラーブレードに呼び寄せられた。店内にはピンからキリまでのローラーブレードが陳列されており、魅惑的に媚びを売っていた。一応の予算は200カナダドル前後だった。これでも高く設定していたくらいだ。でも、何個も試しに履いていると、どんどん高いものが良く思われてくる。実際に履き心地は値段が高いほど良かった。友達と「うーん、悔しいけどコンフォタブル(快適)だぁ。でも高い。どうしよう・・」と悩んだ。悩んでいると、映画俳優のような店員が「こっちの方がモア・コンフォタブル(もっと快適)だよ、ベイベー」と言ってきた。それはもっと高かった。でも本当に履き心地が良く、まるで履いてないような履き心地だった。それを一回履くと、他のじゃダメだった。その時の心境からして、買わざるを得なかった。そして、結局かなりの予算オーバーの代物を手に入れた。友も同レベルの代物を買ってしまった。ダウンタウンに向かう帰りのバスで、「うう、痛ぇー、金がぁ、金がぁー」と二人で唸っていた。
ここまで読んだ人、本当にありがとう。一気に読んだ人は視力が0.3位落ちたことと思います。何日もかかってちょっとずつ書きました。もっと書きたいことはありますが、きりがないし、いつまで経っても完成しないのでここで止めます。もっとカナダのことについて知りたい人は[email protected]で聞いて下さい。詳しい友達がいっぱいいるので、細かいことでも大丈夫です。
「友との出会い」
旅行と違い、留学や語学研修にはたいてい一人で行く。二人以上で一緒に手をつないで団子になって行く人は、ロクな動機を持っていない。邪念に満ちている。座禅を組んだらきっと引っ叩かれる。最初に語学学校で出会った人達はみんな単独でカナダに来ていた。自分の目標を持ち、自分の責任で行動している人達だった。だから、出会う友達は個性的で魅力的な人が多かった。
語学学校での初日の朝、僕はステイ先からバスに乗り、やや緊張して学校に向かった。日本を2日前に出発してから、心の中での独り言以外、全く日本語を話してなかった。ホームステイのことは後で詳しく書くけど、ステイ先に日本人はいなかったから、到着してからずっと日本語は話せなかった。覚悟はしていたが、やっぱり辛かった。ステイ先での意志疎通には困らなかったが、どうでもいいような世間話や、得意のギャグも言えない。カナダに来て初めてユーモアとは何かを知った。ああ、こんなことを書くから文章だらけになるんだ。ここは「友との出会い」という感動的なタイトルの内容を書かねばいかんのだった。そしてガツンと涙を頂戴するはずなのだ。まあいいや、どうせこの文章量を見れば、関係者以外細かいところまで読まないだろう。でもホームページは公共の場にあるから一応誰が読んでも面白くなくてはならない。しかし、欣ちゃんの仮装大賞の出演者のように「〜さん見てるー?」と言って手を振りたい衝動に駆られる。ここはグッとその衝動を抑えつつ、誰が読んでも面白いように書くことにする。
海外での友は二種類に分類できる。日本人と外国人だ。どちらも真の友達になり得るが、まずありがたい存在は同胞の日本人だ。とりあえず心強い。ここに留学の大きな落とし穴があるが、初めての留学ということでとりあえず良しとしておく。僕の場合も、学校での初めての友達は日本人だった。それというのも当たり前で、ガイダンスは各国ごとに分かれて母国語で行われたからだ。しかし、そのガイダンスの後は学校内での母国語使用は禁止された。日本人同士でも英語で喋らねばならんかった。最初は妙な感じがしたけど、すぐ慣れた。カナダでの初めての友達にも英語で話し掛けた。授業が始まると韓国や台湾からの友達もできた。兎に角、たくさんの友達との出会いがあった。(長くなりそうな気配があったので短くまとめた)
唐突に主張するが、イメージスキャナが欲しい。バンクーバーの紹介も写真があれば、それにちょっとコメントを加えればいいが、文だけだとすべてを解説するようだ。でも「力士のような金髪の女性がマクドナルドに入ろうとしている。常連なのだろう。吸い込まれるように入っていく。」などと書いても意味が無い。ここではあくまで僕の見たバンクーバーを書く。文句がある人は続きを読みなさい。
「放課後は観光客」が僕たち(いつも一緒の友達)の間の暗黙の了解だった。一刻の時間も惜しいようにバンクーバーを見てまわった。バンクーバーは治安も良く、海に面した落ち着いた雰囲気のある都市で、そこに住む人も悪い人は少なかった。ある時ぼくが一人で道に迷っていたら、ジョギング中の太った中年のおじさんが「Can I help you ?(何かお困りですか?)」と聞いてきた。うーん、なんて優しいんだ。僕も帰国して困っている外国人がいたら助けてやろうと決心した。カナダはアメリカと姉妹国と言われるように、新しい国家で、そのために都市の区画整理は素晴らしい。道が碁盤の目になっていて、それぞれの通りに名前が付けられている。特に滞在中に馴染み深かった通りは「ペンダー・ストリート」と「ヘイスティング・ストリート」だった。そこには学校の校舎があり、授業後の待ち合わせには「今日はペンダーの前」という風によく使われた。
それと、日本も見習わなければならないのは、TRANSITという制度で、これは交通手段として大変便利だった。一つのチケットで一定区間を90分間以内ならバスや水上バス、電車に乗り換え放題だった。ありがたいチケットだった。ノース・バンクーバーにあるステイ先からダウンタウンにある学校まで、バスで45分くらいかかったが、毎日TRANSITを利用した。一つのチケットでバスにも水上バス(いわゆる渡し舟)にも乗れるのが、日本から来た僕にとっては嬉しくて、必要ないのに遠回りをして水上バスを利用して帰宅したりした。
バンクーバーは僕にとって第二の故郷のような街になった。日本で自分の住む街でさえ、あんなに歩いたことはない。そして、そんなに詳しくない。バンクーバーはこれまでの人生で最もよく歩いた街で、詳しい街だ。どこの通りのどのブロックの曲がり角に、いつもギター弾きがいるかもわかる。これというのも、よく歩いたからだと思う。バスは便利だが、街を散策するなら歩くに超したことはない。
さーて、ここからが面白い。長くなるから改行でなるべく見やすくする。
カナダでの滞在手段はホームステイだった。ホームステイをよく知らない人のために一応書いておくが、ホームステイとはホストファミリーと呼ばれる一つの家族で、一定期間そこの家族の一員として生活をすることですね。英語を勉強するにはこの滞在形式が一般的です。
東京からロス経由の飛行機がバンクーバー国際空港に着いたのは夜の11時近くだった。ロスで十時間のトランジット(乗り換え)があり、好奇心の塊の僕はじっとしてることができず、時間ギリギリまでロスの観光をしていたため、バンクーバーに着いた時には時差ぼけも手伝ってフラフラだった。そんな僕を温かく迎えてくれたのは大橋巨泉だった。カナダは巨泉に支配されていた。巨泉はカナダで日本人観光客用の土産ショップをあちこちに出しており、その広告看板がドでかく空港の通路の壁に掛かっていた。奴は眼鏡をかけて微笑んでいた。「さあ、僕の胸に飛び込んでおいで」と言っているような包容力を感じた。出発してからそれまで日本人と全く話してなかったので、僕は「おお、巨泉、待っていてくれたか」と妙にホッとした心持ちになった。
ホストファミリーとの出会いは、バンクーバー空港でだった。出迎えサービスを頼んでおいたので、飛行機到着の時間にファミリーは来ることになっていた。予め僕の写真を送っておいたので、僕を見つけてくれるのを待つしかなかった。時差ぼけでクラクラする頭で荷物の上に座っていたら、髭もじゃにして髪の毛の薄いがっちりした体格のおじさんが、日本で僕が送った写真を見ながら「Are you Isao?」と聞いてきた。僕はこの人がホストファーザーかと思いながら「Yes. 」と応えた。「How do you do. I'm glad to see you.」と言いながら、しっかりと握手した。髭もじゃのおじさんの隣に、スキンヘッドに近い恐そうなおにいさんがいた。その人も低い声で「Nice to meet you. My name is Edger.」と言って手を差し伸べてきた。ホストファミリーの情報は日本にいる時に入っていた。Edgerはそこの家族の長男で、17歳の高校生のはずだ。僕は19歳大学生。俺の方が年上じゃないか、舐めんなコノヤロと思いつつ、内心オドオドしながら「Nice to meet you.」と言って手を差し出した。日本と違い、握手は思い切り力強く握るのが礼儀だ。エドガーは痛いくらいに握ってきたので、武士は舐められたらいかんと思い、同じくらいの握力で握り返した。試合の前のライバル同士のようだと思った。
次男のマイケルは15歳で、まだあどけなさの残る顔をしていた。スキンヘッドの兄貴を見ていたので、ホッとした。
スイスから来たトーマスは、僕より一週間程早くからこの家にステイしていた。会うと「Good to see you.」と言って握手してきた。なかなか良さそうな奴だった。そして実際、慣れない僕にいろいろとアドバイスしてくれた。その家にはあともう一人韓国人の留学生がステイしていた。彼には翌朝に会った。ジャッキー・チェンを頭から巨大な金槌で叩いて潰したような体格と顔をしていた。チェンのデフォルメといったとこか。こいつもなかなかいい奴だった。学校からの帰りのバスで会うことが多く、よく話をしながら家に向かった。韓国でも学歴は日本以上に重要で、彼は将来のためには英語は不可欠だと力説していた。僕は何事も経験だと思って緊迫感を持たずにカナダに来ていたので、こいつは凄いやと思った。でも、なぜかこいつもか・・・と一瞬虚しさがよぎった。
ホームステイはホテルに滞在するのとわけが違う。仮にも家族の一員になるから、そこのファミリーの流儀には従わなければならない。シャワーの使い方から夕食の時刻、洗濯機の使い方まで。朝食も、嫌でもコーンフレークだ。自慢じゃないが、初日から最終日まで朝食はコーンフレークだった。嫌いじゃないが、たまにはホカホカご飯に海苔をのせて、魚を突っつきながら朝食をとりたいとも思った。でも、文化を学ぶということは本を読んでも駄目だ。体験をしなければ。
僕に与えられた部屋は素晴らしかった。部屋の中にユニットバスが付いているのだ。ホテルの一室のようだった。そして、景色が素晴らしかった。先程書いたようにステイ先の家は山を上がったところにあった。僕の部屋の窓からはバンクーバーのダウンタウンが一望できた。特に夜になると街の夜景が幻想的に見えた。寝る前に明かりを消して夜景を見ていると、自分がどこにいるのか分からなくなる。そして、自分が何者かも分からなくなる。広い地球の片隅で、無力な自分を感じた。でも、生きている自分を感じたのも事実だった。地球上だったらどこでも生きていける、恐いものはないとも感じた。また、現実的に、この場所とも別れる時がすぐに来ることに対して、何か恐怖に似た感情が湧いてきた。海外で生活するといろんなことを考えてしまうものです。
夕食:夕食はたいてい家族が揃ってから始まった。準備や片付けもみんなで行う。料理はインド出身のホストマザーが作る。東洋的な味で、かなり美味かった。友達の家の夕食はいつもピザだと聞いていたので、僕は幸運だと思った。食事中は日本人のように黙々と食べるのでなく、会話を大事にする。特に後から来たイタリア人のステイメイト(農業をしているおじさん)は、食事中ずっと喋っていた。ホストマザーやファーザーも、よく喋った。僕にも「授業には慣れたか?」とか「友達はできたか?」「日本の醤油は素晴らしい!」などと話し掛けてくれた。ステイ中は常に勉強だ。会話を聞くのも、良いリスニングの訓練になる。あまりにみんながよく喋るので、少しでも黙って食べていると、「元気が無いけど何かあったのか?」と心配された。その時、「料理が上手くて言葉を失っていた。(This dish is too delicious for me to speak out.)
」と答えると、声を上げて喜んでくれた。韓国人のステイメイトはさらに無口だった。アジア人は喋れないと誤解されるのが嫌だったので、僕は必死に話した。夕食が終ると、満足感よりぐったりと疲れた。そのうちに慣れて楽しいものになったが、始めは拷問のような夕食だった。でも、それがいい訓練になったのかもしれない。
僕は「International Language School of Canada(ILSC)」という語学学校に通っていた。いろいろなコースが設けられていて、自由に選ぶことができた。僕は午前中は会話のコース、午後はTOEICのクラスをとった。授業といっても、日本の先生支配・生徒服従の形式ではなく、先生も生徒も対等の立場でフレンドリーに進められた。生徒は日本人の他、韓国人、台湾人などのアジア系の他、ドイツ人、フランス人、スイス人、イタリア人など、あらゆる人種が来ていた。上級のクラスになるほどヨーロッパ系の生徒が多かった。やはり言語的に似ているからなのだろう。日本語と英語は似ても似つかないもんなぁ。ズルイよ。
ところで、当然授業は英語で行われる。ネイティブの人よりもゆっくり喋ってくれるので、大体は理解できた。午前の会話の先生はサブリナというキュートな感じの女性だった。ここで授業内容を紹介しても意味はないから書かない。とにかく笑いと発言の絶えないクラスだった。この会話のクラスで多くの韓国人留学生と友達になった。
今では物置にその代物が無念そうに永眠している。
